【山形交響楽団 庄内定期演奏会 第19回酒田公演】


 

  
モーツァルト/交響曲 第1番 変ホ長調 K.16
ヴィヴァルディ/
   2つのトランペットのための協奏曲 ハ長調 RV537
    ------(休憩)-----
モーツァルト/交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

2015.01.31(土) 
酒田市民会館「希望ホール」
指 揮:飯森範親
コンサートミストレス:犬伏亜里
トランペット:井上直樹 松岡恒介


低気圧が居座っている。
今現在の庄内は雨が降ったり小雪がちらついたりの安定しない天気だ。明後日に掛けて大雪の予報も出ている。明日の日曜日は天気が良ければどこかの山域に出没予定だったが何となく無理な予感が…

待ちに待った山響の酒田定期、団員さん達は悪天候の中庄内までの移動ご苦労様です。確か明日は同じプログラムで米沢公演の筈、二日間で県土を縦断する事になる訳ですが、田舎の楽団の大変さを垣間見るように感じます。せめて県土を縦断する高速交通網が整備されれば置賜、村山、最上、庄内がもっと近くになるように思うのですが…
おっとどこかの首長さんの十八番のパクリのようなのでこれ以上は書きません。


この日のステージ
Tembが控えてます


幸運なNew Year Concert後のプログラムの指揮は飯森音楽監督が努めます。メインはモーツァルトの41番「ジュピター」これは去年の10月にテルサで聴いた曲、1曲目の1番は次回というか最終回のモーツァルト定期で演奏予定の曲です。

来年度のサクランボコンサートの公演でもモーツァルの1番と41番が予定されているみたいですが、多分音楽監督の思惑もあるのでしょうが、何か少しだけ違和感を覚えます。
実際次回の東京公演は行かないかもなんて人も筆者の知人にも一人はいます…(笑)
良い意味で考えればそれだけ自信があると言うことなのでしょうが…
そうですね、良い意味で考えましょう。

会場の駐車場は開演30分前でもう満車、清水屋の立体駐車場へ急ぎ傘をさして希望ホールまで徒歩、結構濡れました。喉が渇いたのでホワイエでコーヒーを飲みました。チケットの事前交換がこの日は出来なかったので、二階席を希望しましたが何故か貰った席は一階の真ん中辺り、この日は結構席が埋まっている様子でした。それにしても暑い。
恒例のプレトークではモーツァルトの2曲を解説して下さった。真ん中のヴィヴァルディの曲は、1曲目が終了後、大きな舞台転換があるのでその時にとのこと…

1曲目の交響曲1番はアマデウス八歳での作曲とのこと、曲の完成度は高く本当に幼児が創ったのか不思議なところもあるそうですが、音楽監督曰く「多分レオポルトが手伝った部分も多いでしょう」だそうです。
この曲の第2楽章でHrが演奏するパートに「ド→レ→ファ→ミ」という旋律が出てくるそうですが、これは41番のジュピター交響曲の最終楽章に出てくる旋律と同じだそうで、何か深い意味があるのではないかと言うことでした。
この頃はロンドンでクリスティアン・バッハの影響を強く受けた時期だそうです。

この日の編成は向かって左から1Vln-8,Vc-5,Vla-5,2Vln-7、後列にFg-1,Hr-2,Ob-2、そして最奥にCb-3の配置、多分Fgは通奏低音のためだと思われます。(次曲でも)
第1楽章が始まりすぐにオヤッと思うほど美しい旋律が出てきます。何というか凄いですねぇ…
美しい旋律を創る事は意識して出来ることなのでしょうか。初めて耳にする音楽を美しいと感じるかに個人差があるのは当然ですが、改めてアマデウスの天賦の才を感じた瞬間でした。

第2楽章は非常にゆっくりとした感じで始まります。同じような旋律が繰り返し演奏されますが時に眠くなります(笑)
そして第3楽章で再び軽快なテンポに戻り気持ちよく終曲となります。いやはやなかなかどうして、初めて作曲した交響曲などと侮ってはいけません。後年の活躍を予言するには十分な曲です。
後年の作品と比較すれば構成の複雑さや手法の違いはあって当然です。
今を生きる我々には当時アマデウスが辿ったであろう時間がある程度俯瞰できますが、それぞれの年代で、その時代の高名な音楽家の影響を受けながら成長して行く様を想像することは、生意気な言い方をすればアマデウスの人生を別の次元から眺めているような気がします。

専門の音楽教育を受けた人と筆者のような素人では感じることは異なり、ひょっとしたら間違った感覚を持っているのかも知れません。それでも自分が美しいと感じるのは多くの人達と共通した感覚を共有していることなのだと思います。でなければこの作品は現代まで伝わることなどなかった筈だし、骨董品のように古い物置に仕舞われっぱなしで終わっていたでしょう。
時を越え、民族間のイデオロギーを超越して今に伝わり、再び聴衆の前で感動を与える事が出来る音楽の持つ力の不思議さと奇跡に心が熱くなりました。
歴史はいろんな事を現代に教えてくれます。

続いてヴィヴァルディーの曲については音楽監督が再び登場し解説してくれました。
「赤毛の司祭」と呼ばれたヴィヴァルディーは、とんでもなく速筆で多作な人だったそうで、500曲近い協奏曲を書いているのだそうです。その膨大な作品の中でもトランペットだけソロの作品はこの1曲しかないそうで、理由は当時のトランペットは演奏するのがとても難しく、また演奏できる音がとても限られており、協奏曲の対象としては使いづらい楽器だったからなのだそうです。

山響ではモーツァルト定期でバルブのないピリオド型のTpを使用しているのですが、とても演奏が難しいものだそうです。今回は現代のトランペットを使用して演奏するのですが、それでも大変な技術がいる曲だとのことでした。(交流会で井上さんがピッコロトランペットを使用したと話されてました)
配置は中央にチェンバロが一台あり弦楽器郡が並びます。Cbが1台減り左奥に、管はFg-1とTembの奥にTp-2となります。尚この曲は予定演奏時間7分ととても短いものですが全3楽章形式です。

冒頭から高らかにTpの音が響き渡る演奏は圧巻です。実に気持ちの良い響きです。
2台のTpは絡み合うように演奏しよく聞くとハモっているんですね(笑)
スパッとした音はやはり管楽器の王様、とても速いテンポですが乱れは一切なくさすがの演奏です。
井上さんと松岡さんの息もぴったり合いオケをグングン引っ張るかのようです。

この曲の隠れた主役はチェンバロなのでしょうか?
モダンのオケではあまり見慣れない楽器ですが、ピアノが発明される前の古楽器ですからあまり大きな音は出ない筈、方やTpはやかましい(笑)くらいに大きな音が出ます。ホントにうまくつり合うのか不安でしたが、びっくりするくらい良い相性でした。
と言うのも音の種類がまるっきり違うので、どの楽器からも消される心配はないわけで、その辺の案配を作曲者が巧に使っているのがよくわかりました。

第2楽章は非常に短いですがTembと弦だけで演奏します。何となくドラマの挿入歌のような感じと言ったら怒られるかな(笑)
第3楽章はTpの追いかけっこみたいな感じ、2台のTpが小気味よく鳴り響きます。
いやあ、ブラボーでした。さすが山響の誇る最強のトランペッター、クラシックではあまりソロのTpなんて聞いたことないけど、とても綺麗な音が出る楽器であることを再認識しました。
盛大なカーテンコールが止みませんでした。でもアンコールは無しよ(笑)

休憩後の41番「ジュピター」は超有名な曲で私ごときがあれこれ書く必要なんてこれっぽちもありません。もちろん音楽監督は暗譜で振ります。ホントに譜面台も準備されていませんから…(笑)
山響の演奏も見事なものです。テルサで聴いた時より良い音のような気がします(希望ホールだからね…)
しかしながら残念なことも…

変なオッサンが一人入り口の辺でウロウロしており気が散ってしまいました。声を荒げているようにも見えましたが、まったく困ったものです。それでも指揮者を含め団員さん達は演奏に集中してましたね。
本当は演奏してる人達が一番気になってしょうがないんでしょうが、そこはプロですからひたすら我慢しているのでしょう。何か申し訳ないような気分になりました。


終演後の交流会ではソリストを含め音楽監督からいろんなお話が聞けました。今ではあちこちのオケでやっているそうですが、この企画も山響が一番最初に始めたものだそうです。
その中で音楽監督がイチローの言葉を引用していました。
それがこれ → → 「応援してください、という気はない。応援してもらえる選手であり続けたい」by ICHIRO


庄内定期が鶴岡も含めて年二回公演に減ったのが今シーズンから、次のシーズンでも同じなのだそうで酒田公演は来年の3月まで無いのだそうな…
ファンとしては非常に残念な事ではありますが、現状では当分無理なことのように言っておられました。そこで上記の発言があったわけです。

山響を応援してくれとは言わない。いつもお客さんが来てくれる楽団になりたいしそうなる努力を惜しまない。オーケストラはコンサートにお客さんが来てこそ価値のあるもの、お客さんがそこに来て音楽を楽しむのが本来の姿である。
要約するとそんなようなことを言っておられました。

とらえ方によっては誤解を生む要素もあるのでしょうが、そんなケチなことは申しません(笑)
朝ドラの「マッサン」のように直球勝負でこれからも頑張って貰いたいと切に願います。



交流会の様子
左から井上さん、松岡さん、飯森音楽監督
一番右は今回から実行委員長に就任された加藤理事

音楽監督とは学生時代からの知り合いだそうです。